なんか実話の部分が少ないんだよなあ。今のところ、生前無名だった坂本龍馬の、活躍する前の若い頃の話だ。確認されている事実が少ないのはわかる。しかしブレンドの問題なんだよなあ。もう少し史実をブレンドできないものかなあとは思う。とはいっても、『龍馬伝』はなかなか出来がいい。おそらく視聴者が大河ドラマに求めているものとはちょっと違う。しかしドラマとしての出来がいい。
昔の大河ドラマは、まず作品の選定からはじまったはずだ。作品が決まったあと、キャスティングや脚本家の選定が行われたはずだ。しかし最近の状況はおそらくマチマチで、作品より主役が先に決まったりとか、脚本家が先に決まったりとかもあったはずだ。本筋からいけば、昔のやり方が正しかったという気もする。しかし私自身、大河ドラマをみ過ぎている。アプローチの変化はかまわないと思う。主役ありきの大河ドラマがあってもいい。脚本家ありきの大河ドラマがあってもいい。
今回の『龍馬伝』は、主役⇒脚本家⇒作品の順番で決まったのではないだろうか?作品をみていて、良くも悪くもそんな感じがする。『龍馬伝』は、福山雅治が坂本龍馬をいろいろ勉強して、坂本龍馬の実像に迫っていくというドラマではない。今回のドラマは、福山雅治の体格体型をミリ単位で完璧に採寸し、脚本家・演出家が福山雅治のために福山雅治にジャストフィットしたオーダーメイド坂本龍馬を用意したという感じだ。福山雅治が福山雅治らしくやっていれば、それだけでバッチグーというところか。岩崎弥太郎・武市半平太のキャスティング・人物設定も、本物の岩崎弥太郎・武市半平太に似ているとかではなく、福山龍馬とのバランス・相性で決まったのではないか。岩崎弥太郎が必要以上に汚かったりエキセントリックなのは、福山龍馬がどうしてもきれいで上品な感じになってしまうので、対比としてああいうイデタチや演技プランが生まれたのではないか。汚さに関しては、明らかにやりすぎだと思うが。
『龍馬伝』は原作がない。このことも良くも悪くも、この作品の大きな特長になっている。はじめから45分ドラマを前提に筋が選ばれ、脚本が書かれている。そのため時間的にもジャストフィット感がある。まず一話ごとの起承転結が明快だ。よって一話ごとに完結感がある。ただし美しく完結させるために、見せ場の直前あたりに毎回「?」ぽい部分があるが。たとえば第2回の放送では広末涼子に「ずっと好きだった」と告白された直後、「どうして人の気持ちがわからないのだー」と自暴自棄になり、雨の中泥まみれで堤づくりの仕事を一人まじめにやっていたら、勘違いした百姓が仕事を手伝いはじめるということがあった。「感動的っちゃあ感動的だが、理由がなあ」というところもあった。第3回は龍馬に迷惑をかけまいと関所で潔くお縄になる弥太郎が、次の場面であっけなく抜け出していたのも(海岸シーン)「ハァー?そう簡単に逃げ出せんだろう」というところもあった。第4回は里見浩太朗演じる千葉定吉が娘佐那に語った「お前はもう坂本には勝てん。お前は女だ。それを認めなければならんときがきたのだ」もかなり唐突だった。「エーッ、佐那と龍馬がはじめて会ったのって、つい18分前だろう、オイ」みたいな感じだ。(笑)しかし脚本家がちょっとムリをしたシーンのあとはムリをしただけあって、ドラマをうまくまとめ上げていた。
第4回のタイトルは『江戸の鬼小町』だったが、佐那と龍馬の出会いが物語の柱だった。佐那のエピソードも良かったが、個人的には谷原章介演じる桂小五郎が印象的だった。私がイメージしている桂小五郎とはぜんぜん違ったが、ドラマとして面白かった。きれいな福山雅治ときれいな谷原章介が、きれいに出会っても芝居としてつまらない。桂小五郎がきれいな谷原章介だったからこそ、出会いに遊郭が選ばれ、顔にヒゲが描かれたのだ。谷原小五郎のために用意されたオーダーメイド・エピソードだったと思う。おそらく。
『龍馬伝』は原作のエピソードをムリして45分にまとめるのではなく、はじめから45分を前提に物語が組み立てられている。俳優は、勉強や努力を通じて実在の人物に迫るのではなく、脚本や演出のほうがむしろそれぞれの俳優のオーダーメイド仕様になっている。ドラマが45分枠にジャストフィットし、坂本龍馬が福山雅治にジャストフィットしている。『龍馬伝』にはジャストフィットの心地よさがある。


by tororogohan
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