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『うるぐす(江川卓)』で小林繁追悼特集

2010/01/19 15:08

 

昨日もっとも印象的だったテレビ番組は、小沢秘書逮捕事件関連でも『龍馬伝』第3回でもなかった。もっとも感銘を受けたのは、日テレの『スポーツうるぐす』だった。江川卓氏がキャスターをつとめているこの番組で、小林繁氏の追悼特集が行われた。

 

「空白の一日」の感覚は、若い世代にいくら説明しても理解できないだろう。この時代にすでに物心があった人にしかわからない。思えば当時、プロ野球(特に巨人)に対する注目度・関心度は、今とは天と地ほども違った。日本は終身雇用制の時代で、トレードに対する感覚も今とは違った。とにかくものすごく注目を浴びた事件だった。この事件当時、江川卓は国民的悪党だった。

 

小林繁さんの阪神入団会見はかっこよかった。そしてさらにかっこよかったのは、阪神に入団した年、22勝を上げ、最多勝利投手になったことだった。巨人からはなんと8勝も上げた。

 

引退は早かった。31歳で13勝を上げた年にさっさと引退してしまった。

 

私が一番よくプロ野球をみた時代に小林さんはTBSでスポーツキャスターをつとめていた。(当時はプロ野球関連ニュースをハシゴ見していた)そういえば、『JNNスポーツチャンネル』の出光ケイは今何をやっているのだ???『筑紫哲也のニュース23』の初代スポーツキャスターも小林さんだった。

 

私は当時小林繁に対し、「もてるんだろうなあ」「裏でバンバン遊んでるんだろうなあ」と思いながらテレビをみていた。(笑)

 

2007年の黄桜のCMは凄かった。私はCM好きだが、歴史に残る名CMだと思った。日本にとどまらず、世界のCM史に残るべき名CMだろう。昨日『うるぐす』は、CMに使われなかった黄桜映像をオンエアした。小林さんの発言内容、表情のすべてが素晴らしかった。小林さんの人格が素晴らしかった。ただしCMやVTRが名作だったのは、小林さんが人格者だったからではない。時代に翻弄されたスターの、今なお風化しきれない生々しさを映像が写し取っていたからだ。何かものすごくイマジネーションの広がるVTRだった。この事件に巻き込まれなければ、小林繁はもっと長く現役生活を送ったにちがいない。そんなこともふと考えた。

 

小林さんが日ハムの二軍投手コーチをやっていたというのは知らなかった。ようするにそれほど関心はなかった。しかしいざ亡くなってしまうと、ものすごく残念な感じがする。小林繁さんのご冥福をお祈りいたします。 

 

http://www.tudou.com/programs/view/kI08jEbKPn0/   (中国の動画サイトで発見)

カテゴリ: 話題!  > 話のタネ    フォルダ: スポーツ

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コメント(2)

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2010/01/19 12:32

Commented by ahhacah さん

templeさん こんにちは

 日本の男の子の多くが、放課後白球を追い、夕食後ナイターに見入り、翌朝のスポーツ欄で結果を確認、たまに「週刊ベースボール」を買い、春夏の休みには高校野球中継に齧りつく、そういった野球浸りの日々を送っていましたね。そして、そういう時代が何十年も続きました。
 江川が作新で甲子園に出たのが小6、空白の一年が高2の時でした。事件の為に選手時代はずっとダーティーな存在で、引退の理由とやらもなんか嘘くさいものでしたが、わたしは好きでした。やはり圧倒的な実力故でしょうか。
 90年代に入ってから長らく日本にいなかったので、野球には随分と疎くなってしまいました。FAやドラフトとか制度面のこともそうなのですが、「最近サード二番で起用されている奴、56年前に九州の無名校で四番ピッチャーで甲子園出てたな」といった見方ができなくなったのが大きいですね。
 そんなわたしでも、WBCに出る選手くらいはわかるので、2大会とも熱狂してみていました。ナベツネが代表チーム編成に消極的だった頃、スター選手がアメリカ出しながらも国内リーグの人気を維持するには、国際大会で好成績を収めるしかないだろうに、そんなことは南米のサッカー界を少し見ればわかることだろうにと、その専横な振る舞いには憤りを感じていました。それでも、球界縮小再編の動きを乗り切り、WBCに2連覇した日本の野球界は、実に幸運でしたね。

 阪神移籍1年目の小林投手の活躍はまさに圧巻でした。晩年はいろいろとあったようですが、最後は同じ山陰出身の梨田監督のもとにおられたのですね。ご冥福をお祈り申し上げます。

 
 

2010/01/21 12:07

Commented by temple さん

ahhacahさん、こんにちは

葬儀は昨日だったようですね。小林氏はほとんど忘却された人物でしたが、メディアの扱いはけっこう大きかったですね。亡くなった17日より18日のほうが18日より19日のほうがという感じでだいだん扱いが大きくなっていったような気がしました。40歳以上くらいの世代にとって「空白の一日」は今も忘れられない出来事だったということだと思います。

小林氏はスポーツ選手出身のキャスターの走りだったという説明もありました。たしかに野球評論家は掃いて捨てるほど存在しましたが、番組の司会をつとめるスポーツ選手は小林氏が初めてだったのかもしれないですね。

小林氏が福井県に住んでいたというのは、亡くなった直後の報道で知りました。彼が鳥取県出身ということは以前から知っていましたこともあり、ある種の郷愁(日本海・山陰)を感じました。福井県は山陰ではありませんが。梨田監督は島根県なんですね。このことは知りませでした。

小林氏は引退後も華々しく活躍しました。いわゆるバブル期に花形キャスターとして活躍しました。バブルの担い手的イメージもありました。80年代は活力のある素晴らしい時代でしたが、なんかまた一つこの時代が遠ざかっていくような感じもありますね。

 
 
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